2012年9月24日月曜日

版(エディション)変更

 秋の定演まであと2ヶ月を切ったというこのタイミングでオケの役員さんからメールが来ました。
  
 
『メイン曲の版(エディション)を変更するので、各自パート譜を修正されたし』

 
 なんでも、絃の都合で違う版のパート譜を使いたいので、それに合わせるんだそうです。この期に及んで「げげっ!?」な話ですが、コンマスのご判断なので仕方ないですね。
 
 エディションの問題については小人も学生時代に勉強したことがありますが、楽譜って大きく分けて4つに分類できるそうです。
 
   ①自筆譜(ファクシミリ版):作曲家が書いたそのまんま(の複製品)
   ②原典版:学者が校訂し、本来あるべき姿に近づけたもの
   ③校訂版/実用版:大演奏家が校訂し、「こう弾くべき」と書いたもの
   ④その他:「別にな~んも考えてませんが何か?」的なもの(笑)
 
 
 フツーに考えれば『作曲者自身が書いたもの(自筆譜)が一番正しいに決まってるやん?』と思いがちですが、実は自筆譜って素人(学者ではない普通の演奏家)には読めたもんじゃないんです…日本人なら誰でも掛け軸や江戸時代の古文書が読めるわけじゃないのと同じで、国や時代による記譜のルールや作曲家個人の書き方の癖などを研究する専門家が「現代語」に「翻訳」してくれるからこそ、我々は特に勉強しなくても演奏できる訳ですね。あるいは大作曲家と言えども人の子、自筆譜の音が変だったりアーティキュレーションに整合性がなかったり書き漏れがあったりするんですが、単なる書き間違いなのかわざとそう書いているのかのジャッジも研究者に課せられます。
  
例えば、これがハイドンの手書き原稿
(交響曲95番/大英図書館蔵)
「行書の古文書」位の感じでしょうか…


上の楽譜と同じ部分の出版譜
(楽器の並びを現代ルールに直し、校訂者の意見も一部足されてますね!)

 このように自筆譜そのままでは実用性に乏しいので、どこかのエラい先生と出版社が演奏用の楽譜を準備してくれる訳ですが、その解釈・校訂によって色んな版が世の中に出回ることになる訳ですね。
 
 普段は配られた楽譜をそのまま演奏するだけなので、版を意識することはありませんが、良い機会なのでちょっと比べてみました。
 
 
ハイドン:交響曲104番「ロンドン」第3楽章・トリオ冒頭部(1stFg)

 3つの版で比較してみたところ、スラーのかかりかたがバラバラでした!
 
 
 今回はブライトコプフ(新版)からH.M.P.(ウニヴェルザール)に変更になったのですが、どうも小人的にはこのアーティキュレーションはしっくりきません。アウフタクトのメロディーなのに、このスラーの掛け方っておかしくないですか?どうも校訂者が勝手に書き足しただけのような感じがしますが、ここはOb・Fg・Vnが絡むので、イヤだからといって勝手に変える訳にはいきません。
 
 もしハイドンがホントにこう書いたのであれば「トリッキーなところがハイドンらしい」とか言うんでしょうけど(笑)
 
 
 

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