春が来ましたね…昨日から目の痒みとくしゃみが止まりません…(泣)
さて春と言えば母校の定演。今年も参加すべく母校にお邪魔し、パート譜をもらってきました。
やっぱ吹奏楽では「ファゴット」じゃなくて「バスーン」なんだなぁ(2011年4月14日投稿『ファゴットとバソンの違い』参照)、な~んて思いながらパラパラめくってると、ある楽譜に「(Option)」の文字が…
あぁ、これが吹部の子がよく話題にする「Option」かぁ…
ネットで良く見かける「オプション扱いでサガる~」から始まって、最終的に「吹奏楽にファゴットは不要」論まで発展するアレですね。
不要派の意見としては…
①なくても問題無い
②どうせ聞こえない
必要派の意見としては…
③有ると色彩感が違う
④オケ編曲モノには不可欠
…とまあ、要約するとこんな感じでしょうか?「不毛な論争だなぁ」と思うんですが、現役の子には結構重大な問題のようです。
小人はオプション指定については単に『現実的な配慮(=優しさ)』だとしか思っていません。オケではファゴットが居なければ外部から人を呼びますが、スクールバンドではそうもいきません。そもそも楽器を持ってないバンドの方が多いので、無くても合奏が崩壊しないように書くのは当然の配慮ですよね(だから逆に「無くてもイイじゃん?」と言われてしまうんですが…)。
更に言うと「Option」と言いながら、ちゃんとパート譜が有るんだからイイじゃないですか!もしパート譜すら無ければ、ユーフォやバスの楽譜を流用するか、“編曲”しなくてはいけませんからね。実質テューバとユーフォの音を適当につなぎ合わせただけの譜面が多い中、申し訳なさげに(Option)と書いてある方がかえって誠実な感じがします…
昔、オケでモーツァルトの初期の交響曲を演った時にファゴットのパートが無かったのですが、「当時の演奏習慣からしてバスパートを重ねても良かろう」といって適当に吹きました。ハイドンの某交響曲ではファゴットが1本だったので「1アシ」として乗ったこともあります。こういうのが本当の「Option」ですよね。また吹奏楽でファゴットのパート譜が無いのをいいことに、スコアからオイシイとこばっか引っ張ってきてブリブリ吹いた事もあります。本当にパート譜が無くて好きに吹いて良いのなら、小人的には「Option大歓迎!」ですよ(笑)
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吹奏楽にしろオーケストラにしろ「標準的な」楽器編成があるので、作・編曲者がそれに合わせて各パートを書くのは当たり前の話です。本当に欲しい音だけ書いてたら、ブランデンブルクやプルチネルラみたいなのばっかりになって困り果ててしまいますよね?
2~4管編成がきれいに揃っていたり、吹奏楽団からアルトホルンやバリトン(サクソルン)が消えたのには<大人の事情>がある訳で…。であれば「無いと困る訳ではないんですが、とりあえず奏者居るんで書いときました」的な部分があってもちっともおかしくはありません。
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ハイドン:交響曲104番「ロンドン」終楽章より |
これはハイドンの例ですが、管楽器はハーモニー、弦が交差してして走り回る中で、チェロにだけファゴットの<音色>を重ねる理由は(たぶん)ありません。なにより、これ完璧に吹いたらチェロに負けて聞こえません。「いや、音色が微妙に違う!」と仰る耳の良い方もいらっしゃるかもしれません。もちろん違うんでしょうが、「ハイドンが意識的にその音色の妙を狙ったか?」「ファゴットの有無で音楽が違って聴こえるか?」と問うならば、答えは「否」でしょうね。
ちなみに小人はこの部分<自主落ち>しました。チェロに完全に乗っかる自信が無かったので…(汗)
下手に吹くと合奏を乱すけれど、完璧に吹いても全く吹かなくても結果がほぼ同じという悲しさ…ま、通奏低音時代の名残りと言えばそれまでなんでしょうけどね(^^;ゞ
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シュトラウス:「こうもり」序曲より |
同様の例はアマオケの定番「こうもり」序曲にも見受けられます。こんな盛り上がるところでよりによって〇〇ン〇ーンと重ねるなんて…。こんなおいしいフレーズ」、後ろの方々は当然「爆音」で来る訳で…「後ろの奴等××す!」と思ったファゴ吹きは、絶対小人だけじゃないですよね?(笑)
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では最後に「作曲者に<現実的な配慮(=優しさ)>が無いとどうなってしまうのか?」という例を一つだけ挙げておきましょう…
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プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」第2組曲より
Tuttiも吹かせてもらえない…アングレやバスクラでも
もっと吹いてます。酷過ぎです… p(T-T)q |
「隠し玉」的な効果を狙ってるのは分かるんですが、この4小節以外<お地蔵様>と化すサックス奏者を想うと悲し過ぎて… 「オプション上等!」ですよね!?